職場で「使えない人」と感じる理由|人を役割で見てしまう構造とは

マネジメント

「あの人、使えない」

職場でそんな言葉を聞いたことがあります。

そのときは強い違和感がありました。
人に対して、あまりにも上からの言い方に聞こえたからです。

ただ同時に、
自分もまた、似たような見方をしていたことがあります。

仕事が進んでいない人や、
期待した通りに動かない人を見て、
「なんでやらないんだ」と感じたことがあるからです。

完全に人のことは言えません。

ただ最近、
人を「使える・使えない」で見てしまう背景には、
個人の能力や性格だけではなく、
組織のあり方や、
人を役割で見る視点が関係しているのではないかと思うようになりました。

今回は、
人を「使えない」と感じるときに、
自分たちがどんな見方をしているのかを整理してみます。

「使えない」という言葉の違和感

「使えない」という言葉に違和感があるのは、
その人を一人の人間としてではなく、
何かの役に立つかどうかで「道具」のように見ているからです。

道具には用途があります。
ハサミなら紙を切る。
ペンなら文字を書く。
その用途をうまく果たせなければ、
「使えない」と言われます。

この感覚をそのまま人に向けてしまうと、
「師長なのに」
「看護師なのに」
「研修医なのに」
という見方につながります。

つまり、相手をその人自身としてではなく、
役割や機能で見ているということです。

役割には期待がつきまといます。
師長ならこうあるべき、
看護師ならこう動くべき、
研修医ならこれくらいできるべき。

そして、その期待から外れたときに、
「使えない」という言葉が出てくるのだと思います。

でも、人は道具ではありません。
役割を持っていても、
その人にはその人の経験や得意不得意、
置かれている状況があります。

それを見ずに、
役割に合っているかどうかだけで評価すると、
人をかなり乱暴に見てしまうことになります。

なぜ人を道具のように見てしまうのか

最近読んだ『冒険する組織のつくりかた』という本の中で、
「軍事的世界観」という言葉を知りました。

冒険する組織のつくりかた 「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法 [ 安斎勇樹 ]

これは、目標がはっきりしていて、
短期的に成果を出すことが求められる場面では、
とても合理的に機能する考え方です。

決められた目標に向かって、
必要な役割を分担し、
それぞれが求められた機能を果たす。
そうすることで、組織は素早く動けるようになります。

この考え方は、
緊急対応や、正確さが強く求められる場面では有効です。
実際、こうした動き方が必要な仕事も多いと思います。

ただ、その見方が強くなりすぎると、
人を一人の人間としてではなく、
役割を果たすための「道具」のように見るようになります。

設計図通りに動くことが重視される世界では、
期待された通りに機能すれば有能、
そうでなければ使えない、という見方になりやすい。

人に対しても同じ感覚が向くと、
その人自身を見るより先に、
役割に合っているかどうかで評価するようになります。

その結果、
「師長ならこうあるべき」
「看護師ならこう動くべき」
「研修医ならこれくらいできるべき」
という見方が強くなっていくのだと思います。

病院という環境との共通点

この「軍事的世界観」の話を読んだとき、
病院のことが頭に浮かびました。

病院には、治療という比較的はっきりした目標があります。
しかもその場その場で、
正確さやスピードが求められることも多い。

さらに、医師、看護師、薬剤師、リハビリ職など、
それぞれの部門や職種が分かれていて、
役割も比較的明確です。

こうした環境では、
誰がどの役割を果たすのか、
どこまでできるのか、
といったことが強く意識されやすくなります。

そのため、
人を一人の個人として見るよりも、
「医師としてどうか」
「看護師としてどうか」
「師長としてどうか」
というふうに、
役割に合っているかどうかで見やすくなるのだと思います。

もちろん、病院のような現場では、
この見方が必要な場面もあります。
全員が好き勝手に動いてしまえば、
安全も質も保てないからです。

ただ、その見方が強くなりすぎると、
その人を一人の個人として見るより、
役割を果たせているかどうかで判断しやすくなります。

個人ではなく、役割を見ていた

こういう見方は、何も他人事ではありません。
振り返ると、私自身も同じように人を見ていたことがあります。

病院で働いていた頃、
研修医がローテーションで自分の部署に回ってくることがありました。

そのとき、依頼していた仕事ができていなかったり、
ミスがあったりすると、
正直「使えない」と感じてしまうことがありました。

今振り返ると、
あのとき自分が見ていたのは
その人自身ではなく、
「研修医」という役割だったのだと思います。

研修医は一定期間で別の部署へ移ることも多く、
深く話す機会はあまりありませんでした。
その人がどんな考え方をしていて、
何が得意で、何が苦手なのか。
どういう経験をしてきたのか。
そうしたことを知る前に、
私は「研修医なのだから、これくらいはできるはずだ」
という目線で見ていました。

つまり、
一人の人間として見ていたのではなく、
役割に対する期待で見ていたということです。

期待した通りに動かなければ
「使えない」と感じる。
でもそれは、
相手を正しく見ていたというより、
こちらが役割だけを見て判断していた、
ということなのだと思います。

役割で見ると、期待が生まれる

人を役割で見るようになると、
その役割に対する期待も生まれます。

そして、相手をその人自身ではなく、
期待した役割に合っているかどうかで見てしまいやすくなる。

そうなると、
本来は一人の人間として見ていたはずの相手を、
いつの間にか
「期待した通りに動くかどうか」
で評価するようになります。

期待が人間関係にどう影響するかについては、
以前の記事でも書きました。

怒りの正体は「期待」だった|スキーマのズレに気づくと冷静になれる
他人に怒りを感じるのは、相手が悪いからではなく「こうしてくれるはず」という期待が裏切られるからかもしれません。常識や価値観は環境で作られ、ズレがあるのが前提です。スキーマ理論を手がかりに、怒りの正体を整理し、事実を事実として見ることで人間関係のストレスを減らす考え方をまとめました。

まとめ

組織の中では、
人を役割で見ること自体は避けられません。

目標がはっきりしていて、役割分担がある環境では、
「その役割を果たせているかどうか」で判断する場面も必要です。

ただ、その見方が強くなりすぎると、
相手を一人の人間として見る前に、
役割に合っているかどうかで評価しやすくなる。

すると、
「使える」「使えない」という見方が生まれやすくなります。

私自身も以前は、
その人自身ではなく役割を見ていたのだと思います。

これは特別な話ではなく、
役割がはっきりしている組織ほど起きやすいことなのかもしれません。

だからこそ、
誰かを「使えない」と見てしまいそうなときは、
その人を一人の個人として見れているのか、
それとも役割だけを見ているのか、
一度考えてみてもいいかもしれません。

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