最近、朝早く起きる習慣は定着してきました。
ただ、朝の時間を確保できても、読書中に仕事のことを考えてしまったり、別の考え事に引っ張られたりして、集中しきれない日があります。
以前は、知識が増えて成長していく感覚が楽しくて早起きしていました。
でも最近は、読書をしていても仕事のことを考えてしまい、思ったように進まない日があります。
自分の時間のはずなのに、頭の中は仕事に引っ張られている。
自己成長が楽しいはずなのに、その感覚が薄れている。
そういう状態が続くと、モチベーションも下がっていきました。
そんな中で読んだのが、セネカの『人生の短さについて』です。
「生は使い方を知れば長い。しかし、ある者は飽くなき貪欲の虜となり、ある者はあくせく精出す無駄な労役に呪縛され、ある者は酒に浸り、ある者は怠惰に惚ける。」
この一節が、今の自分の時間の使い方に重なりました。
時間は有限だと分かっているつもりでも、行動はそうなっていない。
だからこそ、改めて時間の使い方を見直そうと思いました。
今回は、セネカの言葉をきっかけに、私が感じた事と、時間の使い方をどう整えようとしているのかを整理します。
セネカの言葉が刺さった理由
セネカの言葉が刺さったのは、時間の使い方に対する認識の甘さを突かれたからです。
朝早起きして読書の時間も作っているし、休日にも時間はあります。
時間そのものがないわけではありません。
それでも、うまく使えていないと感じています。
朝の読書中に仕事のことを考えてしまって集中が切れたり、休日にSNSを見て時間を浪費してしまったりする。
振り返ると、「少しくらいいいか」という気持ちで始めたことが、気づいたら時間が経っていることがあります。
SNSに限らず、ぼんやり考え事をしていたり、何となくスマホを触っていたり。
そういう時間は何も生み出さないし、充実感も感じない。
なのに時間だけが過ぎていき、後から後悔します。
セネカの言葉を読んで、
「時間があるかどうか」ではなく、「どう過ごしているか」を見直す必要があると思いました。
浪費は無自覚で起きる
時間を浪費しているとき、最初から「浪費しよう」と思っているわけではありません。
「少しくらいなら」
「ちょっとだけ」
その小さな入り口から始まって、気づいたら時間が経っている。
こういう状態は、行動経済学では「現在バイアス(Present Bias)」として説明されます。
人は長期的に大事だと思っていることよりも、目先の楽さや気晴らしを優先しやすい。
だから、読書や家族との時間が大切だと分かっていても、
SNSを見たり、ぼんやり考え事をしたりする方に流れやすいのだと思います。
しかも、その時間の使い方は印象に残りません。
何かを得た感覚もなく、終わったあとに「何をしていたんだろう」と思う。
浪費が厄介なのは、悪い習慣というより、無自覚のまま積み重なるところです。
この無自覚を放置すると、時間はいくらあっても足りなくなるのだと思いました。
「明日死ぬなら?」で今日を見直す
私は以前から、「死ぬときに後悔しない人生を送りたい」と考えていました。
しかし、自分の年齢を考えた時に、死はずっと先のことだと思っていました。
だから、今日の過ごし方が多少甘くても、どこかで取り返せると考えていました。
でも、もし明日死ぬとしたらどうでしょうか。
今日スマホに使った時間は後悔がないか。
家族との時間の使い方は後悔がないか。
本当にやりたいことに時間を使えたのか。
そう考えると、無駄に過ごしている時間があることに気づきます。
死というものを身近に感じて
「今日一日を後悔しないように」
と考えると、自然と行動は変わってくるのだと思います。
後悔しない時間の使い方
「明日死ぬなら?」と考えると、
後悔しない時間の使い方は、削ることより先に「何に使うか」を決めることだと思いました。
私の場合、後悔しない時間の使い方として、まず思い浮かぶのはこのあたりです。
本を読むこと。
テニスをすること。
家族と向き合うこと。
特に読書については、最近少し考え方が変わりました。
「学ばなければ」と思って選んだ本よりも、自分が興味を持てる本を挟みたい。
ワクワクできる本を読む時間の方が、結果的に続くと思ったからです。
後悔しない使い方は人それぞれです。
ただ、「自分は何に時間を使いたいのか」を決めていないと、
目先のラクな方に流れやすくなります。
これは、現在バイアスで説明される動きでもあります。
予定を詰め込めということではありません。
自分にとって意味のある過ごし方を考えていれば、
時間がいつの間にか溶ける感覚にはなりにくいのだと思います。
何に時間を使いたいかがうまく言葉にならないときは、以前書いたこの記事も参考になるかもしれません。

小さな工夫
私がやろうとしているのは、大きく生活を変えることではありません。
「少しくらいいいか」で時間が流れていく場面を減らすために、やり方を少し変えてみるだけです。
例えば、朝の読書の時間は「仕事のことを考えない」と決めても、頭は勝手に動きます。
だから私は、読書に入る前にやることを一つだけ決めます。
今日の仕事で気になっていることがあるなら、一行だけメモしておく。
それで頭の中に置いたままにしないようにする。
休日のスマホも同じで、ゼロにするのではなく、使う場面を決めます。
だらだら見ないために、触る時間帯を決める。
触らない時間は、スマホを手元に置かない。
そして何より、先に決めた「使いたい時間」を優先します。
本を読むなら、どの本をいつ読むかを先に決める。
テニスをするなら、予定を先に入れる。
家族と過ごすなら、スマホを置く時間を決める。
小さなことですが、
こういう工夫がないと、時間は簡単に流れていきます。
私はまず、ここから始めようと思っています。
まとめ
セネカの言葉を読んで、私は時間の使い方を見直しました。
時間は作れているのに、集中しきれない。
「少しくらいいいか」で始めたことに時間を使い、後から後悔する。
これは意志が弱いというより、現在バイアスのように、
目先のラクさに流れやすい人間の性質も関係しているのだと思います。
だからこそ、後悔のない時間の使い方は、
「やめること」を増やすより先に
「何に使うか」を決めることだと思いました。
明日死ぬなら、今日の時間をどう使うか。
そう考えると、自然と選び方は変わってきます。
私は、後悔のない一日に近づけるように
今日の時間の使い方を選び直していこうと思います。


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